カフェイン (2012/02/14・バレンタイン)
明暗がくっきりと分かれる日、2月14日。
チョコレートを貰えるスタッフと、貰えないスタッフ、そしてこの日が憂鬱な者と、この日を待ち望んでいた者。
これらの明暗がくっきりと分かれる2月14日は、バレンタインデーである。
例に漏れず、全身ほぼ黒の装いで(出来ることなら白衣も黒を着用したかったくらいだ)望んだ北見の一日は途方もなく長かった。出来ればこの日は休みか夜勤にしてもらいたいのだが、院長の意向で朝から女性客……失礼、女性患者からの攻防と逃亡劇に時間を費やした。
北見は大動脈瘤の手術の時でさえこんなに集中したことはないくらい朝から神経を研ぎ澄ませて、背後に感じる多くの女性の気配に圧されないように必死に自分を保った。しかし棟や課の違う看護士達にも狙われ、今日と言う日に限っては回診時だけでなく、医局にいる時ですら彼の心安らげる場所はなかった。
結局、留守にしていた間のデスクの上、押し付けられた受付やナースステーション、職員出入り口、駐車場での待ち伏せから受け取らざるを得なかった贈り物の山に、本日最大の溜息と眉間の皺を刻んで、忍耐の日の試練は終わった。
彼にとってみればこの一日は、三日貫徹したのと同じ疲労度に相当していると言うのに――
「ぅっわあー、今年も大漁っすねえー」
持ち帰ったラッピングの山を前に、目を輝かせるテルの感動の溜息すら忌々しい。
「北見先生、本当相変わらずモッテモテですよね〜。
こんなに沢山貰ってるのに、
チョコレート嫌いなんてマジで勿体ないっすよ」
まあ、そのお陰でこっちはしばらくおやつに困らなくて良いんだけどね〜、などと妙な節をつけた鼻歌もどきに興じながら上機嫌のテル。こっちは一日中張り詰めて磨り減った気力を、せめて自分だけでも労わっていると言うのに気楽なものだ。
だがそんな嫌味をテルに言おうものならば、またきっと気分の悪い揶揄をされるに決まっている。この疲れきった精神力で相手をするにはこの男はどうにも厄介だ。
北見が頂いたチョコレートの贈り物をテルは戦利品と呼ぶが、あいにく北見にとって勝ち取って嬉しいものではないので、あくまでも『頂き物』だ。しかも全てテルの胃袋に収まってしまうので、これらの贈り物が北見にとって、一体何の意味を持っているのかたまに分からなくなる時がある。
――訂正。
『……こいつの貴重なタンパク源か』
色々と釈然としない部分はあるが、あまり深く考えるともっと虚しい気分に陥ってしまいそうなので、北見はとりあえず考えることはやめた。
そうこうしている間にも、テルは片っ端から『戦利品』の豪奢なラッピングを次々に剥いでいく。
いつもは不器用なテルだが、毎年の膨大な作業に手が慣れてしまったのか、いつにない手際の良い動きで中身を取り出しては、一つずつ吟味して選別する作業に取り掛かっている。
一人で、これ美味いだの苦いだの、お酒だだのぶつぶつ評しながら味の好みや菓子の種類、消費期限によって、いつ食べるものかを細かく振り分けている。北見はそれをぼんやり眺めている間、仕事の書類作業でもそれくらいの熱意を持って真面目に細かく上手に捌けないものかと思わずにいられなかった。
しかし、一口サイズのチョコに留まらず、ガナッシュやフォンダンショコラやチョコマフィンの焼き菓子になると、口元や手をチョコで汚す不器用さは改まらないらしい。そのため、チョコレートの香りが充満し始めたリビングの空気に閉口した北見は、ヤケクソのようにそれをつまみにウイスキーをストレートで流しこむことにした。
この数年で前にも増してチョコレートが嫌いになったのは絶対にこいつの制だ。
目眩を感じるような鈍痛を頭の奥に感じて、北見はうんざりと瞳を閉じた。アルコール濃度の高いものを選んだお陰か、喉を焼くような刺激に嗅覚が麻痺したように思える。
北見に渡されるチョコレートは、好意の証。
それらは大小あれど、彼に向けられたたった一つの気持ちだと言うこと。
色々な立場の女性から贈られる気持ちの多くは、北見の外見に宛てられるミーハーなものがほとんどだが、その中にも真剣な恋心は少なからず存在する。それらに対して応えることのできない後ろめたさと居心地の悪さが、北見のバレンタインアレルギーを悪化させている。
テルはと言うと、もう彼に宛てられるものは全て義理だからだろうか、北見が受け取った『気持ち』であるチョコレートには何も言わない。明らかに本命を窺わせる手の込んだチョコレートを見つけても、北見が差し出される場面に出くわしても、北見が寄越した山の中に埋もれてしまった恋心を、わざわざ掘り起こしもしなかったし問うこともなかった。
北見はむしろ自分よりもテルの方が、知らない誰かの大事な気持ちを尊重すると思っていた。
「北見への気持ちがこもったチョコなんだから、北見が食べなきゃ!」くらいの説教は覚悟していただけに、全てを平坦に扱うテルの無関心には拍子抜けした。
どの道、アルコールの影響で少しずつ鈍ってくる頭ではあまり細かい思考のできない北見が、結局は食い物の魅力には勝てないのだろうかなどと結論を出す視線の先で、テルは小さく「あ」と驚いたような声を上げる。
相変わらず熱心に作業を続けていたテルの手が止まっていたことが何より不思議だった。
「……なんだ?」
「え、あ、いや。
これ」
と、広げていた包みを広げてみせる。小さな木箱に転がる、ざらりとした表面が特徴的なトリュフチョコが数粒。
「これが、すっげー美味くてびっくりした!」
北見のバレンタインチョコ行脚の成果か、テルの舌もかなり肥えたと思われる。
何でも美味しく頂ける美徳は勿論変わらないが、チョコに関しては高級店の味すらも覚えてしまったテルを「美味い!」と、手放しで褒めさせたチョコレートだ。このチョコを作ったのは誰だ!と言いたい気持ちで、箱と、剥いだ包みとを交互に見回すのだが、どこにも店名の表記がないことにテルは落胆した。
「手作りかー……」
では大事に食べなくては、と『特別な時にだけ食べていい枠』に仕舞うことに決定する。
しゅんと肩を落として萎むテルの姿が何のツボを突いたのか、北見は小さく鼻を鳴らして笑った。
「それの残りは冷蔵庫に入ってるから、
全部食っていいぞ」
「はぁい………
………………
……………………は??」
もげてしまうのではないかと北見が心配するほどの勢いで首を回してこちらを凝視するテルの形相が、さらに北見の笑いを誘った。いつになく緩んだ口元はアルコールの成せる業だろうか、にやにやと窺う眼差しが少し苛つく。
「これ……
北見先生の手作りっすか、もしかして……」
テルは木箱を手に恨めしげに睨み上げてくるが、北見はもう気分が良くて仕方ないのか、冗談めかした態度で肩を竦めた。
つまりそれは肯定ってことっすね、と口の中は甘いはずなのに苦虫を噛み潰したような感覚に眉間に皺を寄せる。
「何で黙って混ぜたりするんだよ。
くれるなら、ちゃんと手渡ししてくれりゃ良いじゃねーかよ。
大体、北見はバレンタイン好きじゃないから――」
「そう言うお前はどうなんだ」
「はい?」
「お前 から は、ないのか?」
「………えぇ……と」
思わぬ反撃にしどろもどろになっていると、北見はなぜか真顔で彼のすぐ近くに移動してきた。
「お前はもっと、こう言うことにはうるさいと思っていたがな」
「………北見が好きそうじゃないから」
間近で見つめられて居心地の悪いテルが視線を逸らしてぼそぼそと返す声の調子は、本心を誤魔化す時のそれだ。
少なくとも北見の知っているテルは、そんな殊勝なタイプではない。記念日男と言ってもいいくらい、イベントごとに張り切るのに、なぜかバレンタインの時は決まって静かになる。
確かに、北見がチョコレートのみならず甘い菓子を忌避していることも関係しているのかも知れないが、やりたいと言い出したら北見にだって強引に無理を押し通そうとするのだ。
だから興味が湧いた。
山ほどのチョコの中に埋もれてしまっても良いと思って、あえて『戦利品』の中に紛れ込ませていたが、付き合いの濃さと長さを逆手に取った北見の手作りチョコは、見事に彼の好みを突いた。
テルの胃袋をしっかりと掴んでいる事実確認が出来たことで、今日一日の疲れもどこへやら。
「いつもそれくらい聞き分けが良ければ助かるんだが」
「別に忘れてた、わけじゃ……」
「あるのか?」
両手の平を上に向けて軽く揺らして催促のポーズを見せると、ぶすりと口を尖らせる。
「…………」
テルにしてみれば山ほどのチョコレートも、北見が認知しなければただのプレゼントだ。そう片付けてしまえば、その裏に見え隠れする気持ちも見ないで済む。今日がバレンタインでも、北見が気持ちを受け取らない限りは、テルは不安にならなくて良い。
だがそれを上手く説明できそうにもないし、無碍にされてしまう北見に寄せられた多くの好意への後ろめたさから、テルは北見に何かを贈ることも、誰かの気持ちを汲み取れと言うこともしなかった。
北見はテルのことを、何を考えているのか分からないと、よく呆れたように漏らす。
でもそう言う北見だって、いきなりバレンタインに参加したがったり、チョコを要求したりしてさ、分かってる? そんなこと言い出したら、北見はチョコをくれる女の子の気持ちも考えないといけなくなるんだぞ、その上で、一人一人にきちんと断らないといけないし、どうせ北見は上手く対処できなくて泣かせちゃったりして、困るのはあんたなんだよ?
普段ならこんなに執拗に絡んでくる内容ではないのに、どうも酒のちからでたがが外れているようだ。
答えあぐねているテルの反応を楽しそうに見ていた北見だが、すぐに飽きてしまうのも酒の制か。いきなりテルの腕を掴んで引き寄せると、チョコレートで汚れた指先を口に含む。
「ちょっ………!」
テルが突然のことに目の色を変えて慌てて逃げようとしても、がっしりと捕まれた北見の力は振りほどけない。
「―――っ!」
アルコールを含んで、いつもより熱い咥内にびくつく指先についたチョコレートを、北見はねっとりと舐め上げる。予想外の舌の熱さに、テルの意識が指に集中したことにより謀らずも逃亡を阻んだ。
舌で指の腹を包むように舐め、歯はたてずに唇を使って何度も吸い上げると、なぜか口に広がるチョコよりもずっと甘い。音を立てて執拗に舐めれば、頬を紅潮させたテルが身体を震わせていちいち反応する様子がひどく扇情的だった。
「…………きた、みっ」
握り返そうとしてくる力の入らない指を解放してやると、僅かに潤んだ眼差しで睨んでくる。そんな真っ赤な顔では何の威力もないのに。
「らっ、来月は………頑張ります……」
顔を逸らして、けれどしっかりと指を絡めてくるのは催促のつもりか。
殊勝な言葉に免じて、焦らせるのはほどほどにしてやろう。
「ベッド行くか?」
何とかみっともなくならないように抑えたが、緩む口元は隠し切れない気がする。けれど、幸いテルは真っ赤にした顔を俯けていたので見られなくて済んだろう。ぎゅっと握り締められる手のひらの熱を自分が与えたのだと思うだけで、北見は今日のこの日もそう悪くない一日だったと振り返るのだった。
計 算 (2012/04/24)
北見との奇妙な関係は、テルの食生活に少なからず影響を及ぼした。
家庭的な蓑輪朱鷺子の食育により、テルの味覚はもともと洗練されていたのだが、北見と出会ってからはそれに輪をかけて舌は肥えた。
そんな関係の二人だが、北見とは特に約束はしない。
「来るか?」と気紛れに声をかけてくる北見に「行きます」と返すのが通常のやりとりだったから、北見の用がない限りテルが押しかけることもなく、そんな日は同僚と飲みに出ることが多い。
この日も青木に夕飯を誘われている場面を北見に目撃されていて、そんな時は彼も割り込まない。
このところは北見が用事を入れていたし、たまには同僚との親睦を深めさせておかないと気が抜けまいと、明日の昼にでも連れ出そうかと諦める。それが午前中だった。
しかし、結果的にはなぜかテルは北見の家にいた。
「…………」
山盛りの豚の生姜焼きの量は、もはやご飯がおかずのように見える。
見ているだけで腹がもたれる食欲に、北見は酒の肴を摘むだけで充分だった。
この世の天国にでもいるような表情で一心に肉を掻き込みつつ、美味いっス!
を何度も繰り返す。そんな光景を、北見はカマンベールチーズをむしり取りながらぼんやりと眺めていた。
その視線はやはり無粋だったのだろうか、テルは休むことなく動かしていた箸を止めて口の中のものをゆっくりと飲み込むと、北見の機嫌を量る時の顔で首を傾げた。
「……あの、なんなんスか?
ずっと見られてると、ちょっと……食いづらいんです、けど」
こちらの様子を窺うテルの居心地の悪そうな雰囲気も、彼の問いも、残念ながら北見の頭には入ってこなかった。
と言うのもこの時の北見は、テルの口の端にだらしなくついた醤油だれが気になっていたからだ。
指摘するべきか迷ったが、どうせこの後も汚してしまうのだろうから、とあっさり結論づける。
しかしテルは食事を再開させるよりも、疑問(問題)を解消してしまいたかった。
北見の地雷を読めないテルなりに、言葉を選んだ抗議が流されてしまったので、今度はしっかりと相手の目を見て問いかける。
「……何で北見先生、こっちばっか見てるんスか?」
「他に見るものがないからだ」
「じゃあ、テレビでもつければいいじゃないっスか」
「食事中にテレビを見せない躾をしている」
「しつけって……」
俺は犬かと、喉まで出掛かった恨み言をすんでのところで飲み込んだ。
北見が、呆れた顔で「犬の方がまだマシだ」と吐き捨てる姿が浮かんで消えたからだ。
「……んじゃさ……
テレビじゃなくて、ほら……何かこう、団欒?
みたいなの、したら良いんじゃん」
団欒みたいなのって何だそれはと内心毒づきながらも、北見にとっては夕方から抱いていた疑念を晴らすいい機会だ。
「青木と約束してたんじゃなかったのか?」
「………は?」
「青木に誘われてたろ」
テルは指摘に一瞬怯んだ。即座に曇るその表情に、北見は何事かと気色ばむ。
「……………」
「まさか、青木となにかあったのか?」
ならば職場の機能を円滑にするため、部長として仲裁をしなければと眼差しを険しくする。
「いや………その。
青木先生がさ、美味しいカツ丼見つけたから
行こうって言ってくれたんだけどさ……」
もごもごと歯切れの悪い様子でさらに手の中の箸を弄り回す。
「カツかー、豚かーって考えてて、
北見の生姜焼き美味かったよなー……って
思い出しちゃったら、もうさ」
「………………………」
「勤務中、ずーっと食べたくて食べたくて……」
それで青木に断りを入れた、とテルは消え入りそうな声で告げた。
「………ほぅ」
「あ、えと、今日のもむっちゃ美味いっス」
「それはどうも……」
何気なく答えられたか不安だったが、直後に食事を再開したテルの勢いを見れば成功したのだろう。
北見は危うく緩みそうになる口許をきつく抑えて顔を俯けた。できることならテーブルに突っ伏して、込み上げる笑いを吐き出してしまいたかったが、プライドに賭けて我慢し切った。
テルは一心不乱に焼き豚を掻き込んでいる。
働き盛りの成年にはカツ丼だって魅力的だ。
気の置けない同僚との酒を交えた夕食だってそうだろう。しかしそれを振って、テルは北見を選んだ。
いや、正確には「北見の料理」を。
ようやく鎮まってきた興奮が、今度は喜びと言うかたちで彼の口許を緩める。
料理の腕前は、テルと出会ってから上達したと自負していい。
それはテルを満足させられれば彼を手に入れられると踏んだからだが、かつては一夜だったはずの小賢しい計算が、今や一生を掴もうとしている。
もしこのまテルの胃袋を掴んで、彼の味覚が北見の料理しか受け入れなくなってしまったら?
そんなくだらない妄想が、北見の心を沸き立たせた。
テルの好きなものは何でも作ってやろう。そして味覚を完全に支配してやろう。どこの三ツ星レストランでも満足できないように。
北見は、上機嫌で皿の肉がなくなっていく様子を眺めていた。
いくらでも食え。足りなければもっと作ってやるし、食いすぎでもきちんと面倒を見てやるぞ、と。
差し当たっては夕食で摂ったカロリー消費を手伝ってやるから、さっさと食い終わってしまえ。
この時の北見の笑顔の不気味さに気づかなかったテルは勿論この後、美味しくいただかれることとなったのだった。
Ardent dawn (2012/05/01・R15注意)
20分ほどうたた寝をした。
「………」
目を覚ますと同時に、自然と長い息が漏れた。
眠り込む前まで火照っていた身体はもうすっかり熱を失っていて、素肌に纏わり付く汗と精液の感触に眉を顰める。
上体を起こすと、隣で突っ伏していたテルが僅かに身動いだ。
「………きたみ」
まだ上気したままの情けない顔を上げて見つめてくる。
テルと二人の当直は慌ただしい忙しさで明けた。小さな事故や急患が次から次へと駆け込んできて、二人とも一睡もできずに引き継ぎの四宮達に労われて帰宅することとなった。
テルは誘うまでもなく北見の後をついてきた。物言いたげな表情をした彼は、助手席にいる時も無言だったし、エレベーターの中でも北見から一番離れた場所で縮こまるように立っていた。
北見はそれを異変と感じることはなかった。なぜなら、常に北見を捉える熱っぽい視線が、彼の望みを雄弁に語っていたからだ。
案の定、北見の家に入った瞬間に、テルは後ろからきつく抱きついてきた。
そして、熱を帯びた吐息とともに北見の名を苦しげに呼ぶのだ。
北見はテルの手を掴むと、玄関扉に押し付けて唇を奪う。強引な力に怯むことなく、しがみついて舌を絡めてきたテルの腰を抱き寄せると、嬉しそうに足を擦り付けてきた。
もう股間の熱は硬さを持って主張し、北見の欲を煽った。
「…きたっ……み!」
息継ぎの瞬間にも北見を求めるテルの切ない声が、彼の我慢を振り切った。
抱え込んでベッドに放り投げたテルの身体に覆い被さって服を剥ぎ取る。
テルも北見のベルトに手をかけて、早くと言いたげに催促する。食らう勢いで口付け、呼吸すら惜しんで何度も舌をねじ込む。もう最後は噛み付いていたのかも知れないが、テルは北見の服を脱がそうともがくのに夢中だ。
不器用な彼の手が焦って引き千切って飛んだボタンを、後で拾って縫い付けないと、と北見は変に冷静な頭で考える。
理性も何もなく、一心に北見を求めようとするテル自身を握ると、すでにぬたりと先走りが手に絡みついてきた。もっとと強請るいやらしい腰を懲らしめるように強く激しく扱けば、恥らうこともなく嬌声を上げて素直に快感を追う慣れた身体。その間も、空いた手でテルの胸に適度に刺激を与える。
ふっくりと充血した乳首が旨そうに北見を誘いはじめる頃、強すぎる快感に涙を零しながらテルは達した。
腹が痙攣して、吐き出された濃い精が北見の手を汚す。
「……ん…っ……」
切れ切れの呼吸を整えようと懸命なテルと対照的に、もう北見は我慢の限界だった。
テルが放った精を塗りつけるように秘部にねじり込む。かなり乱暴な動きだが、達したばかりのテルに抵抗できる余力もない。最初こそ北見の指が中を滅茶苦茶に掻き回す感覚に耐えていたようだが、それもそう長くはかからなかった。時折掠める快感の切れ端が、簡単に痛みを吹き飛ばす。そうして奥を軽く突ついた後、北見はすぐに指の代わりに自身を押し込み始める。
「……っあ!!」
いつもならゆっくり時間をかけて慣らしていくべき場所に、怒張した北見自身は彼にも苦痛を齎す。しかしテルはそれすらも欲しいとばかりに、北見を受け入れやすいように足を開き、なおかつ、逃がさないように彼の腰を両足で挟み込む。その従順な身体は、乱暴に突き込んでくる北見自身を締め付けながらも奥へと促してくる。
テルは縋るものが欲しいのか、両手を伸ばして北見の首を引き寄せてキスを強請った。
北見はそれに一度だけ答えて唇に触れた直後、一気に抽送を始める。
「………っ!!!!」
ダイレクトに前立腺を突かれたテルの身体が跳ねた。北見が構わずに腰を進めても、身体はもちろん、ひっきりなしに喘ぐ口からすら拒絶がないのはそのように躾けたからだ。
テルの身体に、自分が望むような快感を一つずつ教え込んだのは北見だ。おかげで刺激されるポイント全てに反応し続けるテルは、呼吸さえもままならずに口の端から唾液を零している。
そして、上気した頬を涙と混ざり合った汗が伝い落ちて行く。
突き上げられて揺さぶられて、過剰な快感にテルの中心は、再び硬く震える。北見の腹で擦られる度に、だらだらとはしたなく精を溢れさせるそれはもう限界を訴えている。
北見はとどめとばかりに大きく腰を動かして、的確にテルの弱点をピンポイントに突き上げた。
「ーーーっっ!!!」
声にならない悲鳴とともに再び達するテルに締めつけられて、北見も彼の身体の中に吐精した。
荒い呼吸を繰り返しながら溶けた瞳の端から涙を零す愉悦の眼差しと、余韻で引くつく内部に誘われて、再び北見のものが熱を持つ。
鎮まらない欲情に任せて、北見はテルの中から自分のものを引き抜き、彼をうつ伏せにさせると、腰を持ち上げた。力の入らない身体では自分で態勢を維持できないテルの腰を支えて、今度はゆっくりと挿入する。
「ん……!」
強引に押し入った最初とは違い、北見の吐き出したものを潤滑油代わりに、奥へ奥へと誘われた。
「…………ぅあ…っ」
緩急をつけて突かれる刺激はもどかしいのか、少しずつ腰を動かして自分の悦いところを探ろうとするテルに北見はほくそ笑んだ。それならば欲しいところにくれてやろうと、手間をかけて教え込んだ場所だけを執拗に攻め立てる。
「ひっ……あ!」
突然の刺激に、テルの背筋が弓なりにしなった。
どんな辱めを受けても、テルの口から漏れるのは悦楽に喘ぐ嬌声と北見の名前、そしてもっと欲しいと強請るいやらしい懇願。
この瞬間は、テルは北見だけのものになる。
仕事も患者も友人も家族も、彼の命を救った父の存在すら、今のテルの頭の中にはいない。今彼に求められているのは北見だけだ。
自分でも知らなかった激しい独占欲が満たされる度に、テルへの罪悪感と、薄暗い喜びが北見の中に同時に湧く。
今度はテルより北見の方が先に吐精した。
「………………」
それらを。
一度に思い出して北見は沈黙した。
そう言えば時々背中に鋭い痛みが走るのは、テルの爪に引っかかれた痕だ。普段はそうなる前に手を離させていたのだが、どうも北見も自らを制御できなかったようだった。
当直の仕事で追い詰められていたことと、このところ家に連れ込めなかったことが重なってか、まるで盛りのついた獣のように朝っぱらから行為に耽ってしまったことを今更恥じる。
確かに最初に箍を外したのはテルの方だが、あっさりと乗せられて欲しいままにした挙句に疲れ果て、シャワーも浴びずに眠り込むなんて酷い醜態だ。
とりあえずシャツだけを羽織って、シャワーでも浴びなくてはとベッドを出る。
うつ伏せで枕に顔を埋めたテルも一時の熱が引いて落ち着きを取り戻したのか、気まずそうにちらちらと目だけけで北見を窺っている。
「……何か、食べたいものはあるか?」
仕事の激務と、熱に浮かされたような一心不乱な情事。どちらもテルの体力とエネルギーを大量に奪ったろう。
ロクな食材は揃っていないが、無茶を強いた分の埋め合わせはしてやろうと要望を聞く北見に、なぜかテルはもじもじと顔を枕に擦り付け始めた。
「……?
適当に作るぞ」
北見は、まだあの痴態を恥らっているのだろうかと訝るが、テルは重そうに頭を持ち上げた。
少し潤んだような眼差しに気をとられていると、震える指先が北見の手に触れる。
「………」
いつもと違う体温に、一瞬で意識が指先に集中する。
「おか……わり、したい、です。
……北見先生、を」
「…………………」
ああ全く今日と来たら、朝っぱらから破廉恥なことばかり。
風呂に入る間も、飯を食う間も、寝る間も惜しんで睦み合っているなんて。
疲れ果てて腕の中で眠るテルの寝息を聞きながら、一日を振り返った北見は乾いた笑いを浮かべるしかなかった……
め あ (2012/05/09)
くだらないことで喧嘩をした。
と言っても北見とは、最初からウマが合わずに衝突を繰り返していたから、今時取り立てて言うほど珍しい話ではない。
いや、あの当時は喧嘩なんて生易しいものではなかった。それこそ殺伐とした険悪な空気を周囲に振りまいては、仲間達に居心地の悪い思いをさせていた。
今は色々あって、一時期のような理不尽な怒りや恐怖はない。
北見が丸くなったことに加えて、テルの一途な恋慕が関係を劇的に変えてしまったのだ。
ただ、改善されたとは言え、もともと性格の違う頑固な二人がひとたび意見の反発を起こせば、すぐに大火事になる。そして困ったことに、この現象はむしろ以前より頻発している。
きっかけすら思い出せないほど些細な意見の食い違いが、口論から罵倒に変化し、勝てなくなったテルが逆ギレ同然に敵前逃亡して事態が長引くのが最近の流れだ。
往々にして、テルの依怙地と北見の言葉の足りなさが被害を大きくするのだが、彼ら自身は自らの非効率には気づいていないようで、今日もつまらない言い合いが発展した喧嘩は、テルの「もういい!」で有耶無耶になった。
腹の虫が収まらないままベッドに逃げて、テルは頭の中の憎たらしい北見の顔面に枕をぶつける妄想で溜飲を下げる。
テルは求めることをしない。
北見を困らせる下らない我儘を言って呆れられることはしても、本当に欲しいものは誤魔化してきた。だから時折漏らす本音の呟きには真剣に応えて欲しいのに、北見はそれすら冗談で片付けてしまう。
しかしそんな北見こそ、テルの欲しいものを理解している。
テルからの言葉を直接聞きたがった北見の態度は、まるで彼を無視しているように見えてしまうのだ。
決してテルが素直になれないのではない。
それどころか、いつも素直に伝えているのはテルなのに、北見との感情の受け止め方の違いからよく傷つく。北見の誠実さを疑ったことはない。けれど、どうしても彼の『一番』が自分以外のものであると卑屈に考えてしまうのだ。
いつの間にか寝入ってしまったテルは、寝返りが打てない窮屈さに驚いて目を覚ました。
「………!!」
ベッドサイドの弱い明かりが、北見と、彼に抱きしめられている自分を照らしている。
眠っているだけでも美しい北見の顔は、この体勢では見えない。
ずるい。
だってこんな、まるで大切なもののように胸に抱え込まれてしまうと、胸の奥に抱えていた蟠りなど霧散してしまう。
そして憎らしかったはずの相手が、途端に愛おしく思えてくるのだ。
拘束から何とか抜け出したテルは、首を伸ばして北見の頬にそっと口付ける。
ありったけの思いを込めるように、唇の感触に集中していたからか、北見が息苦しさに目覚めたことには気付かなかった。気の利かないテルが呼吸の余地を残しておかなかったから、北見は彼の寝巻きの襟を引っ張って遠ざけるしかなかった。
「きたみ……」
「窒息死させる気か」
眠いのが不服なのか、半顔で睨みつけてくる北見。だがそこには拒絶はない。
堪えきれない愛おしさに押されて、テルは再び口付ける。唇が触れる直前に「お休みのキス、してなかったから」と子どもみたいな言い訳を滑り込ませて、今度は北見が呼吸できるように角度を変えた。
ちゅっと、可愛らしい音をたてて何度も何度も繰り返すキスを、北見は大人しく受け入れている。
それどころか必死に想いを伝えようとするテルの背中を、優しい手つきで撫でては宥めてくれる。
そうして安心感で満たされたテルが唇を離すと、北見は再び彼を胸に抱え込んだ。
北見の香りに包まれて瞳を閉じると、きっとすぐに眠りに落ちてしまうだろう。だから、今言わなくては。
「……ごめん、なさい」
「ああ……」
北見もまた、胸に抱いたテルの温もりから睡魔に誘われているのか、どこかはっきりしない声で答える。
テルの瞼は、もううとうとと落ちようとしていた。
「北見……好きー……」
うわ言のように呟いて、限界を感じて瞳を閉じたテルの頭の上から、一拍置いた後に聞こえた北見の返事は、残念ながらテルの耳に届くことはなかった。