■ おむすび祭 ■
「どこか行きたい所はあるか?」
休みが合う日の前日のお誘いは恒例だったので、今日も北見はロッカー室を出る前の決まり文句を口にし、尋ねられたテルはしばし黙考した。
お誘いにはお食事が付随するが、大抵はホストである北見が面倒がるので外食になる。そうなると栄養バランス以外に興味のない北見に変わって、テルが夕食の主導権を握るのだが、テルは北見の潤沢な財源をもとに好きなだけメニューを選べる立場にありながら、いつも小さな喫茶店を探しては行きたがった。
コース料理を選ばないのは、向かいに座る北見の病院外での『指導』が恐ろしいと嘯いていたが多分違う。それをあえて質すほど子供ではないから北見は黙っている。
けれど、北見がそうした譲歩を覚えると、テルもムキになって反抗することはなくなった。それはいつの間にか馴染んで来た約束事だったが、今の所、どちらもその『不自然さ』には気付いていないようだ。
「……え、と」
頭一つ分の身長差を恐る恐る見上げてくるテルの瞳に拒絶の色は含まれなくなった。それを心地よく感じるようになったのも最近のこと。
躊躇いを拒絶と思い込んでいただけかも知れない、北見がそうした神経の尖りを封じていけば、テルもまた躊躇いを捨てていった。以前は怒りの感情をぶつけて暴き出していたテルの言葉は、今はもうほんの少し待つだけですんなりと耳に届く。
だから北見はこの時も、黙って続きを促した。
「北見先生ん家が良い、です」
いつも物怖じしないテルが、こうしてぽつりぽつりと語る時は北見に対して遠慮をしている時だ。そう言う時はいつもの強気がなりを潜めてしまう。さらに続きを待ってやると、テルはなぜかもじもじと両手を後ろ手に組む。
「おむすび……作ってもらいたいんすけど……」
ダメですか?
見上げてくる上目遣いに、遊んで欲しいペットロボットのおねだりの視線が重なる。
「………………おむすび?」
北見は、テルの言葉を呆けた声で反芻した。
「北見の手、大きいからさ。
大きいおむすびできていいな」
この手はおむすびをむすぶためだけに大きいわけではないが。
そんなことを思いつつ、玉子焼きと味噌汁をテーブルに並べる。
愉快だったのは帰宅途中にスーパーに寄った時。
要るものを買って来いと渡した一万円札を裸のまま握り締めたテルは、満面の笑みを浮かべて駆け出して行った。子供に使いを言いつけた母親のような気分で車の中で待っていると、すぐに用事を済ませたテルがほこほことした表情で駆け戻って来た。
その嬉しそうな顔を北見がこっそり愉しんでいる間もなく、テルは走ったついでとばかりに盛大にこけた挙句、お約束通りに釣銭をばら撒いてくれた。
慌てて小銭を集める様子を、北見はむしろ安心した面持ちで温かく、決して目を合わせずに見守っていた。
直後のテルの非難は聞き流した。
「う、まい〜!」
右手におむすび、左手に玉子焼きをしっかと握ったテルはこの上なく幸せそうに頬を緩める。手掴みについては見て見振りを心掛けた。叱るにも気力と体力を使うものだ。
結局北見は、ジャーに残っていた二合と新たに炊いた四合の、計六合を北見はせっせとむすんだ。具は、テルがリクエストしたおかかとサケの切り身(惣菜から失敬した)と昆布…と言った具合。
作っているだけで満腹になった北見は、おむすびと玉子焼きとを交互に頬張るテルを呆れて眺めているだけだった。外食でない日は、北見はテルの腹を満たすためにいつも大量の食糧を用意しなくてはならないのだが、そう言えばその度に彼の食欲に辟易して、自分は食いっぱぐれることが多い気がする。
時に長時間に及ぶ手術に耐えなければならない外科医としては、基礎体力を支える体重管理も立派な仕事のうちだ。一度、きちんと体重の記録をつけてみようと北見は思った。
「この昆布の、最高っスよ!」
しかしまあ、そう言った北見の内心の葛藤など思いもしないテルは、ひっきりなしに口を動かしては、合いの手のように感激の声を上げ続ける。
その機嫌良さそうな笑顔には北見の口許も緩まざるを得ない。可愛げがないとは言っても、やはり手放しで喜ぶ姿を見るのは気持ちがいい。それと同時に、どこか擽ったくもある。
食わないんスか? との問いには頷いて肯定しておいた。
和やかな空気の中で、わざわざ波風を立てる必要はあるまいとの北見の配慮だったのだが、テルはそれで済ませてはくれなかった。
はたと手を休めたかと思うと、自分の食べかけのおむすびを見下ろし、それを北見の眼前に差し出してきた。
「はい」
「………何だ?」
「本当にウマいんですよ。ほら、ひとくち」
「………………」
北見は不可解そうに眉を顰める。
なぜお前の食いさしを頂かなくてはならん?
いやそもそも、それを作ったのは誰だと思っとるんだこのガキは。
口に出すのも大人げないので敢えて無言で訴えるが、通じてほしい感情に限って読んでくれないテル相手に、北見の拒否がまかり通ろうはずもなく。
「どーぞ」
いっそ無神経ともとれる催促に、渋々ご相伴に預かる。
やった自分が言えたことではないが、残っても使い道に困る昆布は風情もへったくれもないほど下品な量を詰め込んだ。そのお陰で、北見は昆布の塊だけをもちゃもちゃと咀嚼するしかなかった。
そのの憮然とした表情を見ているのかいないのか(まあ見えていないだろう)か、「ね?」と同意を求めてくるテルの無邪気な笑顔。
「おいしーでしょ?」
お前の方が美味そうだがな。
不躾な感想は食事が終わるまで待ってやることにした北見は、衰えぬ勢いでおむすびを頬張るテルを、この後どう料理してやろうかと熱心に考えていた。
「お疲れ様でした。お先に失礼します」
律儀に身体を折って退勤の挨拶をする四宮に、北見は「ああ」と、テルは「お疲れさん」と告げて、それぞれノートパソコンと書類に戻る。
おむすび祭開催、数日後のこと。
テルは当直だが、日勤の北見の退勤時間は過ぎていた。仕事熱心な北見が定時を過ぎても医局に残っていることは不思議ではないし、下手をすると当直医に紛れてHOTの要請を受け入れることすらあった。
四宮が出て行った医局には北見とテルの二人しかいない。もう一人の当直医師、岩永は数分前に買い出しに出たばかりだ。
岩永が帰ってきたらシャワーを貰おう。
それまで書類を片付けていることにしたテルが時間を確かめようと顔を上げると、ノートパソコンを閉じた北見が几帳面に机の上を片付けている所だった。やっと帰る気になったのかとこっそり安堵し、視線を再び書類に戻した。
聞かれもしない限り、北見がじゃあ帰るからなどと言い残して行ったりしない。ドアを開けたタイミングでお疲れ様を言う、それがいつのもやりとりだった。
「おい」
「………へ?」
ペンを走らせながらドアが開く音を待っていたテルは慌てて顔を上げる。
ノブに手をかけた北見が上半身だけをこちらに向けていた。
「なん、スか?」
言い忘れた説教かと身構えていると、北見は白衣のポケットから何かを放って来た。
「ぅわ、わっ!」
なだらかな放物線を描いて飛び込んできたそれに面食らっているテルに、仏頂面で「やる」とだけ言い捨てて、北見は静かに医局を出て行った。
「…………………???
何だ、いったい?」
手の中の物体に視線を落とす。両手で包めるほどのアルミの包みに、さほどの重さはない。
テルは首を傾げたまま、ぺりぺりと丁寧にアルミを剥がしていった。
「……あ」
アルミの中から現れたのは、厳重にラップで包まれた、見事な三角おむすびだった。
「北見先生!」
駆け寄ってきた騒々しい足音に、北見は眉を顰めた。その表情が何を訴えているのか明らかだったが、小言が飛ぶより早く、テルは北見が出たばかりのロッカールームに彼を押し戻した。
「お前、廊下を――」
北見の両腕を抑え込むように掴んだ手を支えに精一杯の背伸びをして、唇を掠めるキスをする。
「サンキュ」
早口で告げるなり、テルはぱっと手を離した。
北見が何かを言う前に、来た時と同じ騒がしさで廊下の角に消えていく。ばたばたと。
唇の感触は、残念ながらあっと言う間に消えてしまったが、ほんの一瞬間に見せた幸せそうなはにかみ顔は、北見の脳裏にしっかりと焼きついた。
それが頭に浮かぶ限り、テルを叱り付けるどころか、堪えきれない何かが喉元まで押しあがってくるし、精一杯引き締めていないと唇もだらしなく緩んでしまう。
あいつは、たった一瞬で自分の心を豊かにする天才なんじゃないかと、北見は柄にもなく感心してしまうのだ。
ちなみに、差し入れの夜食の具は昆布だった。
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北見はちゃんと、机の中におむすびいれてたんですよ。
勤務中、ポケットに入れぱなしにしてたおむすびをずっと渡せなくてウジウジと悩んでたわけではないです。