■ 交 点 ■
「は?」
「だから、キミは北見先生に何をあげるのかって聞いてるんだよ」
四宮が朝っぱらから難しそうな顔だったからどんな嫌味を言われるものかと身構えてたのに、何だか拍子抜けしたオレは首を傾げてしまったんだけど、それが気に入らなかったらしい四宮は、眉間に皺を寄せていっそう不機嫌顔になった。
「だからっ。
北見先生の誕生日だよ!」
「えっ……!?」
二度目の疑問符は全く不意を突かれたようだった。いや、本気で突かれた。
誕生日??
「……あ !!
今月9月か !!」
「呆れた!
キミ、今頃気づいたのかい?」
四宮の皮肉は今に始まったことじゃないのになぜだろう、この時はいつもの倍以上にいらついた。大体、当直明けでテンションおかしくなってるのかも知れなかったが、朝っぱらから喧嘩売ってくるこいつもこいつだと思う。
オレのそんな気持ちなんてまるで気づかないように、四宮は一転して得意気に鼻を鳴らす。
うわー、ストレス一気にMAX。
「普段から北見先生に迷惑ばかりかけているんだから、
こう言う時こそきちんとお詫びを込めてお祝いしなよ!
そもそも、指導医の誕生日を把握しておかないなんて恥ずかしいだろ!」
「……じゃーお前は片岡先生の誕生日を覚えてるんだな?」
「そっ……あ! あったりまえだろ!」
なんか今詰まったのは、きかなかったことにしといてやるよ。メンドくせーし。
「で、お前は北見に何やるの?」
途端、待ってましたとばかりに顔を輝かせる四宮は、北見が見ていたら嫌な予感を覚えていたかも知れない。
「本格派志向の北見先生にもご納得頂ける、5.1chホームシアターセットさ!」
ホームシアター……って、広い部屋じゃないと使えないようなやつだろ……?
その上すごい高価いんだろ。
「お前……それはちょっと重すぎるだろ」
「金額なんて問題じゃないさ!
ボクの北見先生を慕うきも――」
「頼むからそれ以上は声を抑えてくれ!
もうほらお前、疲れてるんだよ!
引き継ぎ終わったんなら早く帰って寝ろよ!」
今にも爆発しそうな勢いで騒ぎ始める四宮を押し退けて、オレは逃げるように医局から退散する。
後ろの方でナースの抗議とともに、四宮の「変なものプレゼントしたら承知しないよ!」と言う、何だか分からない説教が聞こえた気がした。
9月16日は北見の誕生日だ。
それを知ったのはここに勤め始めてから結構経ってからで、もしかすると四宮が言い出して初めて気づいたのかも知れない。
大体プレゼントと言われても、小児病棟の入院患者相手ならともかく、いい年齢した大人の男に成人男性が渡すものなど思いつかないし、一流品で固めている相手の欲しがるものが薄給の新米医師が到底手を出せるものじゃないことなんて分かりきってる(四宮は別だけど)。
そもそも北見の好みはよく分からないし。
最初の頃の北見との関係はそれはもうサイアクで、今思い出そうとするだけで、ほら、眉間に皺が寄る。
そんな馴れ初めだから、『仲良』かったことなんてない。
好み? そんなら付き合いの長い院長の方が知ってるんじゃないかって位。
それに、よく電気街に一緒に買い物に出てるって話の岩永先生。
あ、もしかしたら北見情報を束で持ってる四宮が一番かも。
……そうだな。あいつなら確かに北見好みのものを選べるだろうな。
やたらと気が回る四宮は、相手が望む物を与えるのが上手い。
オレが誕生日に貰ったボールペンはものすごく使いやすくて感動した。次の年の誕生日前に失くしてしまって酷く罵られたんだけど、翌年、南極でも使えるって頑丈な目覚まし時計をくれた時の四宮は、どこか呆れ顔だった。(今は電池切れてほったらかしだったりする)
四宮はとにかく北見には忠実で、崇拝していると言ってもいい。慕う? って言うの? 時々不安になるくらい純粋に、神様みたいに接してるのを見ると、邪険に扱ってる北見が悪者のような気分にもなるんだ。
最初こそ嫌な奴だと思ってた四宮だけど、慣れてしまうと一方通行な北見への思い(?)は本当に(オレが言うのも変だけど)一途で健気。
気を遣う四宮はでしゃばらないし、控えめで、オレとあいつの採用年度が反対だったら四宮の指導医は北見になっていて、上手に関係を築き上げていたんじゃないかと思うくらい、あの二人の相性はぴったりだ。好みも似ているし、話も合う。
まあそんな感じでオレと四宮との相性もさることながら、北見とは本当に合わなかった。
性格は正反対だし、好みも話も合わないし、まるで磁石のS極とN極のように何から何まで反発し合っていた。
そんな険悪な空気は、お互い以上に周囲が手を焼いていたくらいで、あの当時はみんなに迷惑や心配を散々かけていただろう。
北見を好きかと言われたら、最初はノー。それはもういけ好かない奴だった(今でも時々ムカつくことがある)。
嫌いって言うか、苦手だった。
オレのやることなすこと全部気に入らないみたいに睨んでくる目も、オレを見ると不機嫌に顰められる眉間の皺も、怒る時と指示を出す時以外で使わない声も。
乱暴を押し付けてくる手も。直接肌に触れてるのに、身体を開かせようとするくせに、オレそのものを無視するあの態度も、何もかも。
あの時のオレは、北見のことが嫌いだったんだろうか。
少なくとも、今のようには好きじゃなかった。
思い出すのは、はっきりとしない曖昧な感情ばかり。
今はそうだな……多分、イエス。好きだ。
いつからそう変わってしまったのか、きっかけがあったのかどうかも分からない。
「誕生日かぁ……」
去年は何だったっけ?
水島先生達がわいわいやってた気がする。その前は箱に入った。あれ、蓮先生が来てたの去年だっけ?
四宮がちゃんと帰ったか分からないからとりあえずナースステーションと医局には近寄らないように病棟を廻る。
天気が良いななんて思ってると、馴染みの入院患者に声を掛けられて雑談してると、北見が院長室から出てきた。出勤後と退勤前には院長に挨拶を欠かさない律儀さも、四宮の北見に対する忠誠心に似てる。T大出るとそうなっちゃうのかな(笑)。
「おはよーございます」
「ああ」
会釈すると、軽く頷いて立ち止まったままの北見。
待たれてる? のか?
北見といると、時々こう言うことがある。
いつだってこいつは黙ったままだから、オレが考えないといけない。良いとも悪いとも言わない北見の機嫌を窺ってるオレだって苦労してるんだよ。大体、こいつは横着すぎるんだよ。
「医局に戻るのか?」
「………四宮帰った?」
北見はちょっとの間を置いて、小さくため息を吐いた。
「お前らまた何をやってるんだ……
お前に、忘れるなと四宮から伝言を頼まれたんだが」
「…………いや、まあ……
え、じゃあ四宮帰った?」
「しつこく念を押しながら帰ったぞ。
その合間に挨拶を挟んだりして、仲々騒がしかった」
お前もいないのに、と小声で付け足したのは聞こえたぞコノヤロウ。
「北見先生も医局っすか?」
「ああ、雑務が溜まって来たんでな」
オレが横に並ぶと、タイミングを合わせるように北見は踏み出した。
やっぱりさっきは待たれてたんだ、と、オレはこうやって少しずつ北見の思考を理解していく。言葉の少ない北見は、いつもそうやって態度でオレを動かそうとする。慣れてきても、いつもこれで正しいのかと不安になるのは少し嫌だ。
「四宮と揉め事が起こりそうなら、早めに相談しろよ」
「……て言うか、四宮絡みって大体北見先生が原因なんスけどー」
「お前が事を大きくしてややこしくするんだろうが」
「オレは何もしてねーよ。
北見が四宮に愛されすぎてるんだってば」
「やめろ、寒気がする」
四宮も可哀想に……
朝と夜は涼しくなってきたけど、太陽が出る昼間はまだ少し暑い。
外は汗ばむほどの陽気だけど、空調が効いてる廊下は穏やかな空気と眩しい日差しで溢れてる。
普段だったら北見と並んで歩いてるなんて何事かと思われるだろうけど、回診が始まってるせいか、職員用通路は人が少ない。つまり、二人きり、だ。
前はこんな状況だったら緊張して足が竦んでたかもしれないなんて思うと、何だか可笑しくなるよ。
「そういえば北見、いま何か欲しいものってある?」
「………何の話だ?」
一瞬で声のトーンが落ちた気がする。
「誕生日だろ、今月」
「…………ああ」
まるで気乗りしない相槌。まあ自慢じゃないけど、日付の感覚すら怪しくなるほど忙しいと、自分の誕生日だって忘れちまうよな……
「四宮すっげーのくれるらしいっスよ」
「………何とか思いとどまらせろ」
「オレに言われても……
四宮は『値段の問題じゃなくて気持ちなんだ』って。
相当張り込んでるっぽいぜー」
「やめろ……胃が痛くなる」
四宮は北見を崇拝してるけど、そう言う気持ちは北見には重荷……と言うか持て余す余りに、よくよく北見の頭を痛ませているようだ。
「いいじゃん、感謝の気持ちらしいから貰っとけば。
ホームセンター? だっけ、なんかそんな感じの……」
「……ホームシアターか」
「ああ、それ!
高級志向の北見が納得するとか何とかも言ってた」
「………………………」
ますます北見の顔が渋くなったけど、この時のオレは知らなかった。
本格的なホームシアターセットってのがどんなものなのか、どれだけ値の張るものなのか。後で北見から見本を見せられて、目ん玉飛び出るかと思ったのは北見の誕生日が終わった後だ。
「んでさー、北見は何か欲しいもんあるの?」
「聞き出せとでも言われたか?」
「違いますよ。
純粋にオレが聞いてんです」
「……それを聞いて、お前はどうするんだ」
「そりゃもちろん!」
北見がオレを凝視する眼差しに、同情のような生温かいものを感じたのは気のせいだろうか……
「たとえばオレがここでお前に何かを要求したとして、
お前、先月の給料を前借したのを忘れてないだろうな……」
「うっ!」
痛いところを!
「……いや、その……あれですよ。
それはそれ、あれはあれ、で……」
「給料前借しても、給料日前にメシをたかりに来るようなやつから
何か貰う方が目覚めが悪いわ」
「……そ、そこまで言わなくても――」
「じゃあ試しに何が買えるか言ってみろ」
……………………………
「………………え、ええ……と……」
暑くないはずだし、ましてや寒くもないはずなのに、なぜか冷や汗が吹き出てくる。
「シュ、シュガーミルクストロベリー……?」
「よし。減俸だ」
「ちょっとぉ !!
なんなんスか、いきなり横暴っスよ!」
「知ってるか。
自分にそのつもりがなくても、
相手が嫌がればそれはハラスメントになるんだ」
「……北見先生、パワーハラスメントって知っ――」
「ほぉ、難しい言葉を知っているな。
なら、賠償責任の意味も知っているな?
昨日シャウカステンドミノし――」
「ごめんなさいシュガーミルクストロベリーだけは買いません」
くそー。何かもう顔でも身長でも財力でも口でも勝てねえ……
オレの撤回に、北見は満足とも不服とも言えない様子だった。
でもそれ以上何も言わないってことは、やっぱりこれで話を打ち切るのが正しいんだろう。
「……本当に、欲しいもんないんスか?」
オレはいつだって、こうやって北見本人に聞かなきゃ北見の気持ちなんて分からない。
だから北見には聞いたことを正直に答えて欲しいんだけど、北見は黙りこくってしまう。
「………………
欲しいものか……」
あれっ??
本当に考えるように首を捻る北見を、ついつい凝視してしまう。だっていっつもこう言う時は無視するかはっきり拒絶するかのどっちかだから。
「そうだな……
去年と同じでいい」
………………ん????
「は?」
立ち止まるオレを置いて、北見はさっさと進んで行ってしまう。
オレが北見の言葉を理解しようとする短い時間すら、あいつは待ってはくれない。ほんっと、冷たい奴………いやそうじゃなくて。
えーっと、去年と同じ? 去年……?
去年って…………え?
思い出してる間、あいつはほんの少し歩調を緩めていた。オレがすぐに追いつけるように。けれど決して『待つ』ことはない。それが北見だからだ。
「…………去年って……あれ?」
箱に入ってたのは一昨年?
去年って、蓮先生が来てた年?
あの日、北見にやったもの……って。
夜に北見に呼ばれて、そう言えば誕生日だったって思い出して………?
…………北見、に……ソファに倒さ、れ て …………
やけに鮮明に、だけど断片的に蘇る記憶。
引きずられるように一度に吹き上がってくる『あの時』のこと。
「……ぅあぁああああああ!!!!」
顔どころか、身体中の血液が一瞬で沸騰したような感覚に、膝のちからが抜けてへたり込んでしまう。
っあ、あああああ、あっっっの、変態親父……………っ!!!
真昼間の神聖な職場で思い出すことじゃないだろ!
頭に血が上りすぎて、目眩までしてきたじゃねーか。
とても立ち上がれそうもなく、オレは蹲ったまま、すぐにでも口から飛び出そうになる心臓を喉の奥で堪えるのに精一杯だった。
北見は、まだ進んでいるんだろうか。でも、今あいつの顔を見たら殴ってしまうかも知れない……
「……………〜〜〜〜!!!」
何とか立ち直りたいんだけど、一度思い出してしまった『あの時』の記憶は望みもしないのに、次から次へと頭の中で再生されては生々しい感情も引き連れてくる。いやいやいや、これ以上正確に記憶を辿られると、本格的にヤバくなるって……!
「何やってる」
それは、余計なものを思い出していたオレの思考を引き締めるような鋭いちからを持っていた。
「…………」
明るい陽の差し込む白い廊下の先で、信じられないほどのイケメンがこっちを向いて立ってる。綺麗に真っ直線に伸びた背筋は、その恵まれた身長を引き立てて、より一層の存在感を感じさせた。
本当に贔屓目を差し引いて、どこからどう見ても美形だ。文句のつけようもない。
なのに、オレから見れば悪魔のような男だ。特に今は。
「戻るぞ」
戻る! ああ戻るよ!!!
でもそれを妨げてんのはお前だろー!
過去のあんたがやったことで、今のあんたがわざわざ恥ずかしい記憶を掘り返させてオレの足を止めさせたんだろーが!
お前だろうがっ、全っっ部お前のせいだろーが!!!
怒りで震える拳を握って何とか立ち上がる。
もうさっきの悩みは片付いた! 今は北見への怒りしか感じない!
仕事に集中するんだと自分に言い聞かせて、北見を追う。奴はオレが立ち上がった瞬間からもう背を向けていて、これ以上小言を食わないように走らずに早足で追いつくのは大変だった。
罵倒や文句が口をついて出そうなるのをぐっと押し留めていたから、北見とオレとの間にそれっきり会話はなかった。
先を行く北見の隣に並ぶ頃には、もう職員専用通路も終わりを告げようとしていた。
その時になって、奴は初めて顔をオレに向ける。歩みは止まらないまま。
「訂正する。
去年と同じものが、いい」
「……………はい?」
ほらまたオレが理解できたかなんて関係ないって風に、今度こそ振り返りも待ちもせずにさっさとドアの向こうに消えていく。
確かにオレは鈍いから、言われた言葉の意味を理解してすぐに返事するなんてできないけど、それでも北見はちょっと無茶だと思う。
だけど完全に置いていかれたってことは、答は二つ。
言っても無駄だと思われてる時。
そして、何かを与えようとしてくれている時。(多分照れ隠しのせいなんだろうって、最近思ってる)
『訂正』……?
なにを? 前に言ったこと?
去年と同じ、ってさっきの話のことか。
「………去年と同じもの、が? いい?」
奴の言葉をそのまま口に出して繰り返した所で、やっと繋がった。
さっき北見は何て言った?
『そうだな……
去年と同じでいい』
「……………」
本当に。
本当にくだらないことだと思う。
いちいちそんな所を訂正するなんて、北見くらいのもんって言うか、北見だけって言うか……
それなのにやっぱり嬉しいなんて、オレももうどうかしちゃってるよ。
だってさあいつの誕生日プレゼントのはずなのに、何でオレがこんなに喜ばされてんの?
もーオレ本当、北見のこと好きすぎんだろ……
きっと今年も増えるんだ。来年思い出して、真っ赤になるような恥ずかしい思い出が。
でもそれは、北見が欲しいと望んだもの。それをオレがあげたもの。
恥ずかしいけど、それと同時に嬉しくて仕方ない思い出になるんだ。きっと。
四宮に聞かれたら何て答えんの? とか、やっぱりケーキは必要だよなとか、新しい問題が頭の中で湧くに任せながら、一番注意しておかなくてはならないことは、今年はもうちょっと控え目に頑張ろう、ってことだった。
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きーたーみー先生ーおめでーとーございまーす!