■ デリバリー ■
夏も過ぎ去り、残暑の朝は日差しこそ変わらないが、空気は確かに秋を感じさせる。
うだるような暑さももう懐かしく感じてしまう、そんな朝。
爽やかな初秋の空気にも関わらず、北見の表情は硬く強張っていた。
それもそのはず、毎年この日は恒例の『試練の日』だった。少なくとも北見の認識では。
9月16日。安田記念病院の若き外科部長、北見柊一氏の、(何回目かの)誕生日。
この日は、北見の周囲はバレンタインに次いで殺気立っている。底知れぬ煩悩と愛憎にまみれた、その重苦しい秋波たるや、日々体調と健康管理を怠らない北見の胃と頭をきりきりと痛ませるほどだ。
刺客に狙われている被害者のように、あちこちから北見の隙をついて突きつけられるプレゼント、手紙、告白攻撃に、業務すら成り立たなくなる時もある。院内のスタッフならば、怒鳴りつけて退がらせる。しかし、院外の業者、見舞い客には強く出られないし、入院患者ともなると丁寧に断ることにすら罪悪感を覚えてしまう。
お人よしでもフェミニストでもないが、やはり女性に泣かれると対応の仕方が分からない。もともと、好意に応えられない後ろめたさが北見の弱みになっている。
結局、今日と言う日は北見の誕生に感謝する日だと言うのに、当の本人には多大なストレスが与えられ、苦しい決断の連続と言う苦難を乗り切る『試練の日』になるのだった。
「きーたみ先生ー。お誕生日おめでとーござーいまーす!」
来たか……
もうすでに、頭の後ろを殴られたような重みを感じながら振り返る。
去年と全く同じ台詞と声のトーンで、水島胡美は一体なにが楽しいのか、北見の冷ややかな視線を満面の笑みで受け止めた。
出勤してすぐの彼女の無邪気な笑顔に癒される者は多いだろう。しかし残念ながら北見にしてみれば、災難を呼び寄せる悪魔の種としか思えない。
彼は、急いで医局から出る素振りを見せる。そして、念仏を唱える気分で口早に唱えた。
「おはようありがとう仕事に戻りなさい」
去年だ。
医局のど真ん中で、大きなつづらと小さなつづらの再現よろしく三文芝居を繰り広げられて与えられた精神的な疲労は、『試練の日』を迎える北見に暗い影を落とした。その上、帰宅後に最も面倒な悶着を持ち込まれて良い迷惑だった。
あのつまらない企画を誰が言い出したかを問う意味を感じなかったのは、思いつく限りの全員に連帯責任として相応の仕置きを与えたからだが、やはり、言いだしっぺには特別の措置を施す必要がありそうだと、北見は痛む頭で考える。
二度と、こんなバカなことを言い出そうと思わないくらいに。
しかし、災厄に触らずに済むのならその方がいいに決まっている。北見は水島には取り合わずに、強引にでも医局から逃げ出すことにした。
去年は間違って構ってしまった。それがいけなかったのだ。
だから今年は、彼女との接触は最小限に留めることを目標にした。
しかし実のところ、最初の挨拶を返してしまった瞬間から敗北を喫してしまったことに、北見は気付いていないのだが。
早々に立ち去ろうとする北見の背中を、水島は追いかけてきた。
「北見先生ったら気が早いんだから!
お礼を言うのは、プレゼントを受け取ってからなんですよぉー」
「……………」
胸の内で要らないと吐き捨てるが、返事をしたら負けだと己に言い聞かせて、水島の追撃を振り払うことに集中する。
「あれー、北見先生。プレゼントはちゃんとここに用意してますよー。
そっちじゃないですよー」
「……………………」
いいやこの方向で間違ってない。
君らからの悪意を受け取らないと言うプレゼントは間違いなくこっちだ。
雑念を捨てた無表情でエレベーターを目指す北見と、駆け足を交えた早足でちょこちょこと付き纏う水島。周囲の視線が少し痛いが、この廊下の突き当たりを曲がればエレベーターだ。
背中越しに計った水島との距離があれば逃げ切れる。
走り出さないように逸る気持ちを抑えた北見が、曲がり角に差し掛かったその時。
がしゃああぁん!
「………っ!!!」
突然飛び出してきた搬送用のカートと衝突した。
不意を突かれた北見は、軽く吹っ飛んで床に尻餅をつく。幸いなことに周囲に人もおらず、カートにも勢いがなかったため、北見ひとりの転倒で済んだ。誰も巻き込んでいないことにほっと胸を撫で下ろした北見の上から、緊張感のない声が降ってくる。
「北見先生大丈夫ですかー?」
「……………君の仕業か……」
「北見先生が注意してないからじゃないですかー?」
しれっと肩を竦める水島を見上げたところで、蹲ったままの足が遅れて痛み出したことに舌打ちを漏らす。(医者のくせに、他人を傷つけようとするなど一体何を考えているのか)
北見が立ち上がるのを躊躇っている間に、水島の後ろから韮崎と青木がにゅっと生えてきた。
「あっ、北見先生大丈夫ですか!?」
「いかんばい、急いで手当てせんと!」
棒読み気味でそれぞれ叫んだかと思うと、あっと言う間にカートに担ぎ上げられてしまう。その挙句、恐ろしい速度で医局まで運び込まれてからやっと、北見は最初から選択を誤ったことを呪うのだった。
「仕事に行かせてくれないか……」
北見はカートに乗せられたまま、大仰に足に包帯を巻こうとする韮崎を手で遠ざけて呻く。
しかし、彼の願いが聞き届けられることはない。
「北見先生お誕生日おめでとうございまーす!」
「もうそれはさっき聞いた」
「今年も麻酔科でプレゼントを用意しましたー!
ドウゾー!!」
がらがらがらがらー
青木の押す台車で運び込まれたのは、冷蔵庫が入りそうな大きさの箱。ご丁寧にもショッキングピンクの包装がされた上に、金ラメのリボンがかけられている。目にした瞬間に、はっきりと異様だと分かるものだ。芸がない………
北見の率直な感想が心から漏れることはなかったが、そんな顔をしていたのだろう。水島が不満気に頬を膨らませる。
「なーんですか、北見先生、嬉しくなさそうです!」
「昨年の二番煎じでどう喜べと」
「プレゼントって、そう言うものじゃないです。
贈ると言う気持ちが一番大事なんですよ!」
「贈られる方の気持ちを一番大事にしてくれないか」
「考えました!
だから今年はバージョンアップです!!」
「バージョンア……?」
「今年は豪華に、二つともビッグサイズで揃えてみました!!」
がらがらがらがらがらー
再び運び込まれる、目に痛い蛍光グリーンの包装紙と真っ赤なリボンで仕立てられた、これまた洗濯機が入りそうなサイズの箱。
問題は――
「何故あんたがここにいるんだ!!」
台車を押してきたのは、丁寧な挨拶でこれまた律儀に長身を折り畳んで挨拶をする男。表情の読めない黒縁眼鏡の奥の眼差しの、涼しいこと涼しいこと。
「おはようございます北見先生。
お誕生日だそうですね、おめでとうございます」
北見は戦いて叫んだ。
「四宮長船!」
「すいません、変なもの混ぜないでください。
蘭の木と書いて、あららぎ、です。あららぎ」
微妙に酷い言い草で、申し訳なさげに訂正を入れる蘭木長船。
「何が違うのか分からない。
お前達、いつも二人で行動してるから二人三脚とか一心同体とか、
対生葉序とか相同染色体とか、そう言う生き物だとばかり」
「ひとを人外のもののように言うのやめてくださいよ。
北見先生じゃあるまいし」
感情を見せない長船は、こう言う時もあまり真剣ではなさそうだったが、唯一迷惑そうに顰められた眉だけが彼の本音を代弁していた。
とは言え北見にとって、彼の主張の正当性などどうでも良かった。
「やかましい。
何しにきた帰れ」
北見がしっしっと面倒臭そうに手を払う態度には特に傷付いた様子もない。
むしろ、感情を表すことが面倒だと言わんばかりに淡々とクレームを漏らす。
「何しにきたと言いつつ門前払いなんて酷くないですか。
こちらは、北見先生の誕生日をお祝いに来たと言うのに」
「失せろ」
はっきりと拒絶と嫌悪の態度を示しているのに、長船は相も変わらぬ無関心さで北見を苛立たせる。
「まあ、そう言わないで。
今回、こちらの先生にお聞きしましてね。
今まで色々とお世話と迷惑をかけていたので、
そのお詫びを兼ねて、贈り物を用意させて頂いたんですよ」
「そうですよ。
蘭木先生てば、わざわざプレゼント持って駆けつけてくれたんです。
北見先生、幸せ者ですねー」
背後からにょっきりと生えてきた水島の動きと連動してか、青木は律儀に長船の隣に台車を運び直す。
「全て断る」
「これらには、とても素晴らしいものが入っていますよ」
その営業スマイルが、明らかに嘘を物語っていると北見は確信する。
何しろ、昨年が昨年だ。
疑う余地もなく、面倒事が積み込まれている。
しかもこの男がいるのに、相方のあの捻れ災厄男が見えないのならなおさらのこと、箱の中身は考えるまでもない。
四宮蓮だ。
ますます要らんわと、胸中で唾棄する。
こちらの気持ちを知ってか知らずか(いや、知ろうとも思わないのだろう)、水島は無邪気な笑顔でバンザイをし始めた。
「いつも勤勉な北見先生に、私達からのほんの細やかなプレゼントです!
でもやっぱり二つともは欲張りだから、どちらが良いか選んでくださいね☆」
どちらも要りませんと突っぱねようとして、北見ははたと気付いた。
あのバカみたいな箱の片方には、四宮蓮が入っていることには間違いなかろう。
北見が何をしたと言うのか。とにかくあの男はこちらを勝手に目の敵にした挙句に、何かしらの厭味を含めて嫌がらせをしてくる。もちろん、敵認定されることに心当たりもない。
だからと言って北見に直接の危害を加えてくるわけでもなく、むしろ人の良い笑顔を装って近付いて来て、なぜか友人のように振る舞いたがり、けれどその目にははっきりとした敵意の炎を滾らせているのだ。
そんな男が趣味の悪い包装箱から飛び出す様を想像するだけで吐き気を催す。
しかし、箱はもう一つある。
あれには一体、何が入っている?
昨年、同じような大箱とブルーレイディスクを提示された時、面倒を避けてブルーレイディスクを選んだ北見の自宅に、『箱の中身』が膨れっ面で押しかけてきた。
何で箱を選ばなかったと理不尽に憤る『中身』だったが、最終的にはそちらも美味しく頂いた。北見が散々楽しんだ後で、その事に気付いたテルが「だまされた! ごーつくばり!」と騒ぎまくったのを愉快に聞いていたのを覚えている。
「…………………」
二番煎じを恥ずかしげもなく披露する連中だ。
もう一つの箱には、去年と同じ物が入っているだろう。
これが四宮(弟)とテルの天秤ならば、迷うことはない。
両方とも蹴っ飛ばして仕事に戻ればいい。実際、就業時間も圧してきているのだし、抗議を無視して拳を振り下ろせば、強引にでもこの茶番から解放される。だが、四宮蓮とテルの天秤は勝手が違う。
北見には理解できない行動をとる四宮蓮は、どうしたことかテルに執着している。
明らかな態度はなくとも、時折向けられる視線に苛立たされたことも少なくない北見にとって、四宮蓮とテルの接触は好ましいものではない。信用のならない男だからこそ、彼は警戒して然るべきだ。
その男の名前がちらついている時点で、不利益な謀略が潜んでいることを疑わずにはいられない。
関わりたくない人間が、関わらせたくない人間に絡んでくるのは、北見には面白くない状況だ。
「ほら北見先生。
そろそろ回診の時間ですから、早く選んでくださいよー」
北見の内部葛藤に構わず、水島は平然と急かす。彼の本音としては「要らん」だが、それを主張するには、片方が蓮であること、もう片方がテルであることに躊躇を生ませる。
しかしその躊躇いを許そうとしないのは、もはや悪意だ。彼女は、本人にはその気は無いにしろ、北見にとって最も恐れていた言葉を告げる。
「北見先生が悩んでばかりなので、今から10数える間に決まらなければ、
本日は特別に、二個をセットにして差し上げたいと思います〜!」
通販番組のお約束の台詞を、元気良く発表してくれる水島。韮崎は二つの箱の後ろでひらひらと手を振り、長船と青木はスタジオの観客のように「ええぇ〜」と白々しく驚いて見せる。
その上さらに北見の苛立ちを煽るように、揃って大きな声でカウントダウンを始めるのだ。
「じゅー……きゅー……はーち」
人間の条件反射だろうか、周囲からの秒読みに変に焦ってしまう北見は渋面で箱を見比べる。
今この状況の理想は、テルの入っている箱を当てて、もう片方をダストシュートに放り込みつつ仕事に向かうことだが、そのための確証が足りない。下手にテルを外してしまったら、何が起こるのか北見には知りえなくとも、大変な面倒ごとに発展するだろうことは想像に難くない。
「……なーな……ろーく、ごー」
「……………」
だからと言って、両方押し付けられるのもこれまた危険だ。不吉な予感しかしないし、これが一番最悪のシナリオだろうことを、北見の直感が警告を発している。
「よーん……さーん……に」
楽しげな空気だった秒読みが、いつの間にか獲物を追い詰めた肉食獣の威嚇のそれに変わっていた。
北見を焦らせるカウントダウンももはや終了に向かっている。
覚悟を決めた北見が、運命を天に任せようとしたのと、テルがスライディングの勢いで医局に駆け込んでくるのはほとんど同時だった。
「スイマっセンしったぁ!
遅刻しました!!」
「あっ!」
「……………!」
「あーあ……」
しまったと言う水島の失言に、韮崎が残念がる声が聞こえた。長船は特に感想もないようだったが、青木に至っては、顔を青くしたり白くしたりで忙しく、恐らくこの中で一番可哀相な被害者に違いなかろう。
「昨夜、ついオペビデオ夜更かしして見過ぎて
寝過ごして――って………あれ、蘭木先生?」
「やぁテル先生、おはようございます」
「あ、おはようございまっす」
いつもなら、言い訳もさせない反応速度で北見の鉄拳制裁を喰らっているはずだ。
不審に思ったテルの視線の先で、長船はのんびりと手を振ってきた。
「何でここに?
蓮先生は一緒じゃないんですか?」
「私は相同染色体じゃないですから」
「……?」
テルの純粋な疑問は、長船の機嫌を些か損ねたらしい。
少なくとも北見は、答える長船の声に拗ねたような響きが混じったように思える。
何を言われたのか分からずに疑問符を浮かべるテルに、今度は水島が口を尖らせた。
「もー、だめじゃないテル先生!」
「だから、寝過ごしちゃったんだからしょうがな――」
「そうじゃなくて!
せっかく色々考えて計画してたのにー」
「計画………?」
さっぱり要を得ない抗議に困り果てたテルは、視線で北見に助けを求める。
その時に北見はようやく、様々なしがらみから解放された。
てっきり入っていると思っていた箱には、テルは入っていない。
と言うことは、あの二つの箱に入っているのは、一つは四宮蓮。
もう一つは、朝から姿が見えない四宮(弟)だ。
それ以外の選択肢――例えば、人間ではなく何かの家電だったとしても、北見の欲しいものはもう確実な場所にある。それ以外に必要なものは、今のところない。
怒りに頬を膨らませる水島とこちらとを交互に見比べるテルの困惑した表情を見ていると、纏わりついていた煩わしい頭痛がさっと消え去る。
そうなるともう、北見が遠慮する必要は一切なくなった。
「水島君。今年もありがとう。
君達からの心遣い感謝する。
蘭木長船、そちらにも礼を言っておく」
「え、いえ、あのぅ……」
滑り込ませるような滑らかさで口早に水島に告げると、矛先を向けられた彼女は途端に、しどろもどろと狼狽え始めた。
「この二つは、有り難く頂戴する。
ただ、どうもこの贈り物は少々嵩張るし、持って帰るのにも不都合だから、
先に宅配便に出してしまうことにしよう」
「えっ………!!?」
頬を引きつらせる水島を他所に、取り出した元払い伝票に澱みなく記入していく。
「これは全く関係ない話だが、
南アフリカはこれから良い季節になるだろうな。
全く関係ないけどな」
北見の手元は誰にも見えないが、なぜかテル以外の人間は、彼が南アフリカのどこかの住所を記入していることを悟った。
気まずそうに沈黙する水島と韮崎の向こうで、青木は真っ青になっていた。
しかし、真実を打ち明けることで爆発する北見の怒りを浴びる勇気はないようで、視線を足元に固定したまま嵐が過ぎ去るのを待っている。テルは勿論、何がなんだか分からないのに誰にも説明を求めることができず、ひたすら言い知れないプレッシャーに耐えている。
そんな中で、ぼそりと呟いたのは長船だった。
「北見先生、私も全く関係ない話ですが……」
胡乱な眼差しを上げる北見の半眼は、ヴァルハラの第二世代を震え上がらせるのに充分だった。
しかし、長船は身動ぎすることなく、あのいつもの淡々とした口調を崩すこともなかった。
「蓮さんが前に、コロンビア旅行に行きたいと言ってたことがありました。
全く関係ない話ですけどね」
「コロンビアか……」
何かを思考するように中空を仰ぎ、北見は静かに反芻する。その声は、事情を知らないテルさえをも戦慄させたのだから、他の三人(長船除く)は、完全に恐怖で硬直してしまった。
北見はそんな第二世代には構わず、自前のノートパソコンを引っ張り出して伝票を書き上げた。すぐに内線で呼び出した事務員に伝票と台車を引き取らせると、固まったままの第二世代達に一瞥をくれ、「仕事に戻りなさい」と告げて医局を出て行ってしまった。
訳が分からない内に、蘭木長船も消えていた。
そして後に残された水島達は、彼らを呼ぶ院内放送にようやく正気を取り戻し、バツの悪そうな顔でそれぞれの仕事に戻って行くのだった。
しかし、
「……………なんなんスか……?」
ひとり呻くテルの問いに、答える者はいなかった……
◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆
コロンビアも、かなり治安悪いらしいですね。