* Week *
12月はイベントが目白押しだ。ただでさえ忙しない師走は、下旬からクリスマスに年末大掃除、年越準備と立て続けの行事でさらに大忙し。特に、世間の大騒ぎのしわ寄せが押し寄せる救急指定病院ともなると、師走の喧騒は戦争並みだ。だと言うのに、安田記念病院には決して外せないイベントがもう一つある。
『分かってるって。ちゃんと』
電話の向こうの相手は、口を尖らせているだろう。そんな声を聞きながら、北見は声を出さずに笑ってしまったので、相手にはその奇妙な間が怒り出す前兆だとでも受け取ったらしい。
『ちゃんとメモに書いてるから、絶対忘れないって!』などと、的外れな駄目押しをしてくれるものだから、噴き出すのを堪えるのが一苦労だった。
北見は必死で笑いを噛み殺して、澄ました声を装って、体面を保つ。
「……なら、良いが。報告はきちんとしてもらうぞ」
北見が、院長が懇意にしている総合病院で行われる手術を見学に出向くのは珍しいことではない。最初の頃は、テル辺りがズルイだのエコヒーキだの煩く喚いていたが、この頃は、自分との実力差を認識し始めてきたのか、出張に対して好意的になってきた。もしかすると、土産の功績の方が大きいのかも知れないが。
『名古屋の名物ってきしめんだよな』
いや、確実に土産が狙いらしい。
沈黙する北見に、テルは本能だけで覚えている名産品の名前を羅列し始める。必要以上に細かく並び立てる店名と品名を聞いていると、最近、ナースステーションに入り浸っていたのはこの為かとすら勘繰りたくなってくる。
「確認しておくが、部屋は無事だろうな」
増え続ける土産の羅列を遮って、北見はうんざりと吐き出した。
今回の北見の出張は、12月9日から13日までの三泊四日。
その間に、安田記念病院での一大イベントが企画されていることも暗黙の了解だった。
12月11日の誕生日。
この日はテルにとって、面識のあるほとんどの同僚達からのお祝いという名の収穫日であり、叔母が奮発してくれた救援物資が届く日である。もちろん、物だけではなく、みんなが笑顔で自分に「おめでとう」を言ってくれることが嬉しい日だ。
加えて、ここ数年はこの日を認識した北見からの愛情を、(色々な意味で)惜しみなく与えられている。
(実は北見と出会って二年くらいは、特大のお小言と拳骨を頂いていた)
考えてみれば、以来その日は意識もせずに北見と過ごしてきたテルにして、初めて北見不在の誕生日になる。
だからなのか、なんなのか。
北見の出張前に、着替えを一式用意して北見宅に泊まるようにテルは指示された。
なぜかと問うテルの疑問には一切答えず、北見は物を壊すなよと命令するだけだった。命令はもうひとつあって、誕生日当日夜に北見宅に届く荷物を受け取るため、テルは同僚や叔母からの食事の誘いを断らなければならなかった。
その見返りに、受け取る荷物は全部彼のものにしていい、と北見が零した謎の誘惑に負けて大人しく従うことにした。
『……えーっと、まあ……
その…散らかってるだけで、壊れたりはしてない、と……思う』
思案するような曖昧な沈黙が北見の不安を煽るが、惨状を想像して自ら気分を害することもあるまい。考えずにいよう。北見は折り合いをつけて、通話を切り上げた。
明日は誕生日だ。
*** *** ***
例年に漏れず、今年もざくざくの大漁で終始頬が緩みっぱなしのテルは、一人で北見の家にいた。
プレゼントの山を開封する楽しみのため、両手に抱えてひいふう言いながらもちゃんと全部持ち込んだ。さすがに、森医師からの10キロ米は後日北見にヘルプを頼むことにしているし、賞味期限の長くない生もの(生クリーム関係)は医局で美味しく頂いた。災害時の持ち出しかと言いたくなるようなものは、ロッカーなりに保管したので、テルのロッカーはパンク寸前だ。まあこれもうれしい悩みなのだが。
何と言っても今年は、仏頂面の四宮からももぎ取れたことが一番の収穫だ。
その時の四宮の、嫌そうな顔と言ったらなかった。いつも涼しい顔をしてひとをからかう、あの小賢しい不敵な笑みはどこへやら、テルとは対称的に終始不機嫌を前面に押し出した表情で何度もため息を吐き、最終的には麻酔外科らからやんやとせっつかれ、親指と人差し指で摘んだシュガーミルクストロベリー(500ml)を渋々差し出してきた。その時の「べ、べつにキミのためじゃなくて、みんなから色々言われるのが嫌だからなんだからねっ」と言う常套句には、水島がツンデレおいしいですとのたまった。
ひととのコミュニケーションは、テルにとってなくてはならないものだ。
構われるのが好きなのは、自分でも自覚している。
叔母夫妻は、確かに実の親子以上に愛情を惜しみなく注いで、大事に育ててくれた。父親とも比べることのできない、大事な人たちだ。
けれどやはり時折感じてしまう心許なさは、父を失った子ども時代の喪失感が拭えないからだった。こんな風に、たくさんの人の側から離れてしまった日は特に。
広げた紙袋と包装紙、箱やビニールの山を築きながらも、結局いまは一人だ。
一人でいるには広すぎる部屋が、放り出されたような寂しさを煽る。何でこんな日に、こんなところで一人でいるのだろうと、テルは途端に空しさを覚える。
「……北見のせいだ!
あいつが全部悪いんだ! 荷物送るなら、どうせ自分がいないんだったら
遠慮して、昨日とか明日とかにしてくれれば良いのに!
そもそも最初からオレん家に送ってくれれば良いだけじゃねーかよ!
くそっ、考えたら腹立ってきた、文句言ってやる!」
思い立ったら即行動。携帯の短縮ボタンを怒りに任せて殴り押して、鼻息荒く呼び出しを待つ。
少し間をおいて、聞こえたのはコール音ではなかった。淡々と流れる機械音声からの、『不通のお知らせ』。
「……」
「………………あー………」
呆然として、ぽつりと呻く。電源が入っていないか、圏外か。
仕事優先かつ、何事にも手を抜かない北見が、意味もなく連絡手段を不通にしておくことは絶対にないから、電源を切らなければならない場所か、電波の届かない場所にいるか、だ。どちらにしろ、今のテルではまさに手の届かない相手には違いない。
漏れるばかりのため息を深く吐いて、携帯電話を放り出したテルは床にごろんと転がる。真下に潰された包装紙の山が、がさがさと音を立てた。
山となるほどの沢山の好意も、今のテルにとっては慰めにはなってくれない。
そればかりか、募る人恋しさが世界中から投げ出されてしまったような孤独を錯覚させる。
北見への文句の電話なんて、本当は、ただ声が聞きたかっただけだ。たとえ離れてたった三日でも、十年も二十年にも感じてしまうこの不安を何とかしたい。声すらも聞けなくなってしまっては、行き場のなくなった想いは増すばかり。
テル自身、出張の話が出た時は、むしろ羽が伸ばせる程度にしか感じなかった。今はただ、簡単に送り出してしまった北見の不在をこんなに悔やんでいる。
とんでもない虚脱感と疲労に見舞われて、テルはぐったりと寝転んだまま目を閉じる。
10分ほどそうして、転寝と覚醒の狭間をさ迷っていたテルの意識を引き戻したのは、携帯電話の着信音だった。
「うおっ、寝てた!」
慌てて、さっき放り出した携帯電話を紙くずの山から掘り出す。
辛抱強く鳴り続ける着信の相手は――
「北見! もしもしっ!」
『……少し声のトーンを落とせ』
耳が痛い、と、応答するなりこの態度。しかしテルにしてみれば、まさに一日千秋の想いで待ち焦がれていた相手だ。数分前の絶望までに落ち込んでいた気分はすっかり吹き飛んでしまった。
「北見北見! 北見!」
『耳が痛い。要点を簡潔にまとめてから発言しろ』
「ゴメンゴメン! だって北見がさー」
『切るぞ』
「あ、ごめんなさい! 待って待って、切らないでっ」
小さな携帯電話相手にへこへこと頭を下げて謝り倒すテルの必死な声に、北見は一拍置いて(ため息を吐かれたようだ)、それで? と続ける。
「あー、えと……あ。北見先生、電話大丈夫っスか?」
『移動中だ。あと少ししたら切るから、さっさと用件を言え』
テルの脳裏で、昨日見た刑事ドラマで出た誘拐の身代金要求電話の手短さがよぎった。
北見は端的な言葉だけで全てを伝えようとする。それはテルにだけではなく、時折患者相手にも出てしまうようだが、テルは(色んな意味で)濃厚な付き合いの中で、北見の言葉の足りない単語を埋められるようになってきた。
つまり、電話を切るまでは話を続けてくれる、わけだ。
しかし用件を言えとせっつかれると、言葉に詰まる。
電話をかけたのだから、用事がないわけがない。が、「アナタの声が聞きたかったの☆」なんて口が裂けても言えるものか。言わなければならないのなら、北見も道連れにする覚悟だ。
電話を受けた時のテンションはどこへやら。しどろもどろな口調に倣って、視線も中空をうろうろとさ迷う。
「いやその……、用件って言うかー、
そう言えば、まだ荷物来ないんスけど」
はっと目に止まった時計は、夜の八時を過ぎていた。
『もうそろそろ届く。それより、鍵はちゃんとかけてるか?』
「ちゃんとかけてますよ」
『それなら良いが』
「北見先生、お留守番の心配するお母さんみたいっスよ」
『……誰がそうさせているんだ』
疲れた表情が目に浮かぶ。
テルといる時の北見は、いつもそんな表情だ。それを素直に指摘すると、物言いたげに一瞥して黙るか視線を逸らされるかして終わる。
「あと、オレ今日誕生日なんだけど……」
『それで?』
「えー、何か言ってくれないんですかー?
四宮だって、プレゼントくれたのにー」
『どうせ、代金請求されたんだろうが』
「………北見、どっかに監視カメラ仕掛けてんの?」
ここまで来ると、もう千里眼の域に到達している北見の洞察力に、驚くどころか不安になる。
四宮とテルの北見を巡る三角関係は北見自身が望んだことではないが、一番状況を把握しているのは実の所北見らしい。不幸を嘆く相手がいないのが、目下の悩みだ。
『―― そろそろ切るぞ』
「あっ、え、もう?
後でかけ直しても良い?」
『駄目だ、予定がある』
「……っス」
抑揚のない声ではっきりと断られてしまうと、仕事で出張している北見には無理は言えない。テルはそれを呑んで、大人しく従った。
北見は最後に、『物は壊すなよ』とだけ告げてあっさりと通話を切り、テルは通話の途絶えた電話を名残惜しげに眺めてから、長いため息を漏らす。
「あーあ……」
そしてまた、テルは独りにされる。
北見と話した時間は5分にもならず、さっきまで浮かれていた気分からあっと言う間にどん底に突き落とされて項垂れるテルの耳に、インターホンの音が届いた。
やっと、件の届け物が来たようだ。
「はいはーい」
贈り物のことを考えると心が浮上するような気がする。だって、届け物は全部テルのものにして良いと言ったのだから、つまりは元から自分宛てなのだ。
北見からの誕生日のプレゼント、この解釈で間違っていないはず。
「今開けまーす。
おつかれさ……」
「チェーンは掛けて、鍵だけ開けろと言ったろが」
扉の向こうに立っていた北見は、いつもの仏頂面を崩さずに呟いた。
「き……きた――」
ぽかんと口を開けるテルの襟首を掴んで、北見はつかつかとリビングに向かう。
北見が鞄を放り投げ、ジャケットを脱いでネクタイを緩める間のたっぷり五分かけて、テルの思考が追いついた。
「何でここにいるんだよ!」
「自宅に帰ってきただけだ、文句あるか?」
「出張!」
「一時間後に戻る」
「戻るって……えええええー。
じゃあ、何しに帰ってきたんだよ……」
混乱するテルとは対称的に、飄々と非常識なことを当たり前のように答える北見。
「今日だから、だろうが。
しかし、お前――」
素っ気無く吐き出して、リビングを見回す。
何度か覗いたことのあるテルの部屋の惨状に比べればまだマシな方とは言え、ソファ周りを悲惨に散らかしている包装紙の山と救援物資のような品々が、テルが今日病院で収穫したプレゼントであることは容易に想像できた。北見は、それらと微妙な表情のテルとを見比べた後、うんざりと眉間に皺を刻む。
「明後日までには、ちゃんと片付けとけよ」
「…………ウス」
北見の機嫌のバロメーターの振り幅は心得ているつもりだ。今はまだ許容範囲らしいが、とりあえず目に見える辺りの物は片付けてしまおうと屈みかけたテルは、北見に制止された。
不審そうに見上げてくるテルの無言の問いに、彼は真顔で告げる。
「一時間しかないぞ」
「………へ?」
「届いたものは、全部お前のものにして良いって言ったろうが」
「…………………………あ」
ぽつんと呻く。
頭の中で北見の言葉を繋ぎ合わせたテルは、理解した瞬間、体中の血液が一気に沸騰したような熱に襲われた。一瞬で体温が五度も六度も上がったような感覚だ。テルはぐらぐらと煮え返る思考の中、震える手の平で額を抑え、呼吸もままならない唇で、何とか声を絞り出した。
「え、……えと、あの……もしか、して、
北見先生、オレのため、に、帰ってきてくれた……んっス、か?」
どくどくと早鐘を打つテルの心臓は、今にも口から飛び出してしまいそうだと言うのに、北見はいつものごとくしれっと、
「誕生日だからな」
なんて肯定してくれる。
普段からまるで、幼児か犬かの区別がつかないような対応をされているし、実際色々と躾けようと(主に生活態度と生活習慣の意味で)していて、少しの甘えも許さないくせに。
だから、誕生日を知っていても、自分から何かしらの要求をしなければ意味のない日になってしまうと思っていた。出張の日付を聞かされて、北見は自分の誕生日など気にも止めないと分かってもいた。ただ、残念に思ってしまったことも確かだ。
二人の関係を括るラインはとても曖昧だ。普段は引かれていることも気づかないような境界線が、ふとした瞬間、壁をつくる。そして、歩み寄るには近すぎる。
少なくとも、テルにとっての北見までの距離は測りきれない。ある日は前に、ある日は隣に、そして後ろにいる。北見がこの距離をどう思っているのかなんて、それこそ想像もできない。
始まりは唐突だった。北見は何も言わないし、何かを理解させようともしない。だからテルは、自分を納得させることで精一杯だった。
「テル」
北見は変わらぬ様子で、しかし急かすように腕時計を指先で叩いてみせた。
「一時間しかない」
本当にこの男は言葉が足りない。
よく考えてみれば、伝える努力を怠っているとしか思えない北見の意図は、いつもその少ない言葉の中にあったのだ。
北見がこうして、二度、同じことを繰り返す時は急いている合図なのだと、テルは、彼の足りない言葉を補えるようにまでなった。
そうして改めて見れば、塞がれていると思っていたばかりの北見からの道は、違う道筋を通ってしっかり繋がっている。その道はとても細くて小さいが、目を凝らしさえすればちゃんと見つかる。
北見は、その道を繋ぎ続けることに努力している。テルの努力は、その道を見失わないようにすることだ。
「じゃあとりあえず、キスとハグしてください」
泣きたいような、笑い出したいような、言い表せない感情がこみ上げてくる。
それは、やっと触れることの出来た北見の心地よい体温を通じて、久しぶりに味わえることのできた幸せの喜びなのだと、テルは思った。
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朱鷺ちゃんに大事にしてもらったけど、やっぱり両親がいないことはテルのコンプレだと思うわけです。