◆◆ タイミング ◆◆




休日の夕べ。
人ごみの中、街の交差点で信号待ちをしていた北見は、ふと何かに惹かれるように対面に視線を投げやった。

多分、タイミングはほぼ同時だったのか。
車が走る道を挟んだ向こう側。
驚いたようにこちらを見つめてくる、見慣れた部下の顔。を、見つけた。

しばらく呆けたようにぽかんと口を開けていたテルだったが、見る間に表情を和らげていくのが遠目にも分かった。突如、小さな身体を伸ばすように両手を目一杯広げて振り回し始めたかと思えば、ぱくぱくと『き』・『た』・『み』・『!』の口の形を作るテルには背後に尻尾がついている錯覚すら覚える。しかしその大仰な反応がテルの周囲の注視を招き、彼の先にいる自分を見る視線に耐えられなくなった北見は、つとめて冷静を装って顔を背けた。
しかしその態度がお気に召さなかったらしいテルはむっと口を尖らせて、一層自分をアピールすべく、飛び跳ねだした。

だから、そう言うのが………!

意図を量ろうともしない、視界の端でぴょんぴょん跳ねるバカな部下を、北見は胸中で呪った。

そうして(一方的に北見に)長い待ち時間の後、ぱっと信号が青に変わった途端、北見は背後の人ごみの誰よりも速く、横断歩道に歩みだした。
あの長い足を目一杯歩道に踏み出して、半ば駆けるような速度で。
対面の歩行者がバラバラと進みだした頃、北見は歩道の半分も渡り切っていて、人に挟まれながら駆け寄ってくるテルを真っ直線に目指していた。

一人で走らせれば信じられない精度で転ぶのだから、早いウチに走るのをやめさせなければならないと、北見の足は自然と早まる。


ここまでしてやるのは、多分、コイツが最初で最後だ。


今まで、思いつきもしなかったことが起こる。
今まで、思いつきもしなかったことを、自分がする。

そうしなければならないのは、多分――




「………ど、わっ!」

案の定。何かがあるわけでもない場所で足を縺れさせたテルは、横断歩道の真ん中付近で前のめりに――

「………!」

倒れこむ直前、テルは強い力で腕を支えられた。そしてそのまま引き摺られるように歩かされる。
その間、北見の眉間には皺がみっつ刻まれていた。

「だからお前と逢うのは嫌なんだ」
「…………って!
 北見がシカトすっから……」
「何もないところで転ぶ才能なんか、誰も褒めてくれんぞ」
「ス………ンマ、セン……」

珍しく、しおらしく小声で呟く声は、なぜかこの雑踏の中でも聞き取れた。

横断歩道を渡り切り、人の波の邪魔にならないところに移動してから、テルの腕を掴んでいた手を離す。不満そうに引き結んだ口と見上げてくる反抗的な瞳で、この子どものご機嫌を損ねたらしいことを知った北見は、疲労を感じながら口を開いた。

手っ取り早く機嫌を直す方法を思いながら、交差点の先の電気屋への用事は、もう今日は諦めようと、小さく嘆息を漏らす。

「メシはどうした?
 今日は定時上がりだったろう?」

テルはむすりと、拗ねた子どもにそっくりな態度で応えた。
「……………まだ……」

「少し歩くが。良いな?」

北見は有無を言わせぬ語気の強さで反論を封じ、さっと歩き始める。
どうせすぐには着いて来ないだろうテルは、予想通り、困惑した表情で立ち止まっている。
北見はいつものように数歩先で足を止めて、

「来い」
振り返り、顎をしゃくってテルを呼び寄せるのだ。
そうすれば――

「デザートつけても、いい?」

現金な子どもはすぐに瞳を輝かせて、跳ねるように軽やかに駆け寄って来る。
北見は口許に小さな笑みを浮かべて、ゆっくりと歩調を合わせてやったテルが横に並ぶ前に。

「ふたつまでだぞ」
そう、告げた。




ここまでしてやるのは、多分、コイツが最初で最後だ。


今まで、思いつきもしなかったことが起こる。
今まで、思いつきもしなかったことを、自分がする。

そうしなければならないのは、多分。

多分。
この関係を。
少しでも長く。

続けていたいから。









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ある日、信号待ちで青に変わった瞬間、向こう岸から
凄いスピードと笑顔で駆け去ってゆくお嬢さんから妄想。
萌えは日常の中にゴロゴロと転がってますね。