■ うわむく はな ■




「……あ」

ふと。テルは足を止めた。
回診を終えて医局に帰る途中の廊下で目に止まったのは、ゴミ箱――の中から顔を覗かせる花。
妙に惹き付けられるものを感じて、いそいそと近付いてみる。

白い小さな花をつけているもの、薄い桃色だったり、鮮やかな翠の葉だったりするものはもともとは花瓶にでも活けられていたのだろうか、花束ごと捨てられた風情だった。
だが残念なことに、その大部分が枯れていて――いや、それだから新聞紙にくるまれて捨てられたのだろう。
テルには花の名前はさっぱり分からなかったが、ただ一つ。

淡い黄色の花弁のひまわり。

「これまだ元気じゃん」

名前を知っている花をつまみ上げてみる。
意外に小さな花びらが、どこかしょげ気味に俯いている。
捨てられてそれほど時間は経っていないのか、茎の足元から雫が落ちた。

「えれー小せぇの……育ちこじれかな?」

ひまわりと言えば学校の花壇に暑そうに立っている、人間の背丈ほどもある花しか見たことのないテルには、矮小品種など知るべくもない。
時期が早いもんな〜、などと一人ごちている。

あの、どこか飢えた感じのする体つきのそれとは違って、まるで小さな子供が描くようなふっくらと丸みを帯びたそのひまわりに、テルは思わず笑ってしまった。
ひまわりを持ったままゴミ箱を漁って見て、他に枯れていなさそうな花がないのを確認すると、小走りで医局に戻った。




医局には、まだ誰も帰って来ていなかった。
もう三十分もすれば、昼食に戻ってくるだろう。

テルは手のひまわりを見て、へへと笑う。
ほこほこと笑う顔は得意気な子供のそれとよく似ていた。

「種、いつできるっかな〜」

へらへらと無邪気にそんなことを口にする。

一つの花でたくさんの種が出来てしまうから、ひまわりは凄いと思う。
そしてそれが美味しいんだからもっと凄いと感動する。花が枯れるくらいだったら、夏前には収穫できると、ウキウキと一人浮かれるテル。
非常食とまで行かなくても、口寂しい当直の夜なんてどうだろう。

考えただけでもウットリする。

「できるわけがないだろうが」
「ぅわっ!」
妄想に浮かれていたテルは、背後から降ってきた声に慌てて振り返った。

「……北、見先生」
北見は、いつもの冷ややかな眼差しとは打って変わった、呆れたような視線で(まあどちらも似たようなものだが)こちらを一瞥してから、思わず身体を強張らせてしまうテルの脇をするりと通り過ぎていった。
もう一つでもアクションがあると身構えていたのに肩透かしを食らったテルは、どっと脱力しながら北見の言葉を思い出す。

「……何でっすか?」
「切花に種なんかできるか」
「ぅえっ! 切花だとダメなのッ?」

土から養分を取り込めなくなるのだから当たり前だ。

北見は自分の机に着くのかと思いきや、荷物だけを机に置いて、あの背筋をぴんと伸ばした綺麗な姿勢で戸棚に向かう。
そのまま流しに行ったから、テルはコーヒーでも淹れるのだろうと思った。

「ちぇー……おやつにしようと思ってたのに。
 くっそう……」
「食う事ばっかりだな、お前は」

椅子を引きながらぶちぶちと愚痴るテルに、呆れたような北見の声。余計なお世話ですよと返そうと唇を突き出した眼前に、なぜかコップを突きつけられて、テルは目を丸くする。
催促するような眼差しに圧されて仕方なく受け取れば、用済みとばかりに北見は机に戻っていく。見惚れるほどの姿勢の良い背中を半ば呆然と見送る。

「………?
 何、ですかこれ?」
すこし丈の長い来客用のガラスコップには半分ほどの水が注がれている。北見はぴたりと足を止めて振り返った。

「種が取れなきゃ、花は要らんのか?」

「……………へ?」
思わず、背の高い男の顔を見上げる。

その視線が見ているのは自分ではなかった。

「あぁ!」

北見の眼差しが、自分の手元の花に注がれているのに気付いて、ようやくテルはコップの意味を悟った。

体温に触れて疲れてきたひまわりを、そっとコップに浸ける。
花首がちょうど縁に引っ掛かるせいか、花の重みにコップが倒されることはなかった。

ちょこんと収まった花が指先に触れ、くるんと自分に向いた。
何となくお礼を言われているように見えて「どういたしまして」と、口の中で呟く。
テルは、ひまわりを自分の机の端にコップを置くことにした。相変わらず机は汚かったが、机の左端に特別な場所を作る。

椅子に着いて机に顎を乗せて、下からひまわりを見上げる振りをして、真っ直ぐ向こうに座る北見を盗み見た。もうこちらに興味はないらしく、着席と同時にお決まりのノートパソコンを広げた外科部長。

何よりも、北見がひまわりに興味を示したことが可笑しかった。自分や他の誰かならともかく、あの男が、花瓶ではなくコップを選ぶこと。それも来客用のコップを、たかが枯れ損なった一輪のひまわりのために差し出してきた事が、テルには大事件のように思える。

北見の意外な一面に、何だか得したような気分になった。
そして自分の浮かれようを思う瞬間、コップ越しに北見を見るテルの瞳が僅かに揺れる。



本当は。

花を持っていた自分、に興味を示したことが。


多分嬉しかったんだと、そう、思った。


この小さなか弱い花が、あとどれくらいで枯れてしまっても、きっと自分は思い出すだろう。
太陽を太陽を、と追いかけずにはいられないひまわりのように、北見の背中を追いかける自分、を。

きっとこれから、ひまわりを見るたびに。


ひまわりに手を差し伸べた、男のことを………







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ちょっとテルに無自覚な片思い入ってるかな。
何でもない普通の話